やまとなでしこ

やまとなでしこは日本人女性の美称である。特に、態度や表情が穏やかで、容姿端麗、清楚で言葉使いが美しく、男性を立てるような女性を指す。

漢字で「大和撫子」と書き、植物「カワラナデシコ」(河原撫子)の異名としても用いられる言葉。

「大和」とは日本の異名だが、大倭・大日本(おおやまと)という美称も指す。大和政権が五畿の一つ大和(現在の奈良県)に在ったことに由来する。元々は「倭」と書いたが、元明天皇の時に「倭」と通じる和の字に「大」を付けて「大和」と書くよう定められた

「やまとなでしこ」の女性像は、今なお男性の理想として語られることが多い一方で、価値観の変化に伴い、現代では男性の想像する「やまとなでしこ」はもはや現実離れしており、それに当てはまる日本人女性はもういないという意見もある。

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容貌

容貌は、人の顔立ちのことである。ルックスと呼ばれることもある。

類義語に容姿があるが、こちらは顔立ちと体つきの双方をさして言う言葉である。相貌は類義をもつほか人の顔立ちに限らず物事の様子をさす場合もある。

また、風貌とは顔立ち・体つき・服装・態度などを総合した見た目のことで、顔立ちではなく体つきや服装について主に指す言葉としては姿や身なりがある。

面容と面貌は、顔立ちのみならず表情を含めた顔つきをさす。 目細い ・目が細い、目が小さい

容貌に差異を与えるもので、遺伝によるものには次のようなものがある。

■ 肌の色・肌質
■ 髪の色・髪の太さ
■ 目の色・目の形
■ 鼻の形・高さ

また、ある程度選択可能なものには次のようなものがある。

■ 表情
■ 髪型
■ 髪の色
■ かつら
■ 眉毛の形
■ 眉毛の色
■ 化粧
■ 日焼け
■ タトゥー
■ 眼鏡・コンタクトレンズ
■ 服装(ファッション)とのコーディネート

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スリム

ほっそりしたさま。細身できゃしゃなさま。

「スリムなからだつき」
「スリムなジーンズ」

など。

スリムアップ(体重を減らす)

痩せる・やせ細る・痩せ細る・減量・痩せこける・瘠せる・瘠る・痩る

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プロポーション

カラダ全体のつりあい(バランス)のこと。

女性のカラダは、体重やサイズが同じでも、プロポーションは様々である。プロポーションは、年齢だけが要素ではなく、骨格や肉付きなど本来持っている体型素質、さらには食生活やライフスタイルなどによっても違ってくる。

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日本の美意識

近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」は無い。しかし、いき、わびなどの個別の美意識は、古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後、複数の視点を生かした研究が待たれる。

歴史的に見ると、日本神話の天の岩戸の挿話は、民族の危機が歌舞(うたまい)の芸術によって救われたという意味であり、日本民族の歴史に占める比重の大きさを示唆する。 ここにおける理想的人間は「明(あか)き浄(きよ)き直(なお)きこころ」(宣命)という内面の曇りの無いことに結晶し、罪はみそぎと祓いとによって水の果て、風の果てに消散されるとする宗教的呪術的心情には美と清さとがなんらかの形において一致するという美学的思考が胎生している。

日本において美学的思考が初めて意識的に理論化されたのは、『古今和歌集』「仮名序」においてである。 紀貫之は「仮名序」で、和歌は純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」)。 そして和歌は天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、「生きとし生けるもの」の生の表現がヒトにおいてその精華を開花させたものであるとした。

この歌論が芸術批評、創作指標として理論化されたのは、藤原公任の『新撰髄脳』、『和歌九品』以降においてであり、後者の9分法は仏教における九品蓮台によると思われるが、基本的には中国唐代の画論における品等論の影響が推定される。

藤原公任によって最高の歌格とされた「あまりの心」は、藤原俊成、壬生忠岑、そして鴨長明によって「余情(よせい)」として深度化され、幽玄と関係づけられた。

そのころ歌風は、「たけ」、「長高様」(崇高あるいは壮美)、「をかし」(趣向の面白さに由来する美)など、美的カテゴリーの細分化がおこなわれ、「和歌十体」として体系化された。

藤原定家は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優美)の範疇を開拓した。

藤原定家によって重んじられた幽玄様、右心体の趣を禅的思想で深めた正徹は、「いかなる事を幽玄体と申すべきやらむこれぞ幽玄体とてさだかに詞にも心にも思ふ斗りいふべきにはあらぬ也」と、名状しがたい悟入の境地と芸術の奥義とが照応していることを指摘した(『正徹物語』)。

ここから芸道の精神が生まれ、演劇論としては、能の世阿弥の『花鏡』の「動十分心動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちなき姿」を尊重する秘伝につながる。

これは、技法上の修練が必要であることに理解を示したうえでの、俳人の松尾芭蕉による、「俳諧は三尺の童にさせよ初心の句こそたのもしけれ」(『三冊子』)という、「気」の芸術の主張につながる。 この内面的な自発性は、『笈の小文』によれば、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、千利休の茶を貫く風雅の精神である。

このことを別の側面から保証するように、文人画家の池大雅は、絵画でいかなることが困難であるかと質問されて、「ただ紙上に一物もなきところこそなしがたし」と答えたという(桑山玉洲『絵事鄙言』)。

この気の芸術の神秘主義は、宇宙的生命の自己表現から出発する日本の美学思想に起源するが、たぶんに、中国思想、仏教思想の影響がある。

一方、これに対して、純粋な日本的精神による美学を主張したのは国学者の本居宣長である。 本居宣長(『石上私淑言』)は、「事にふれてそのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを物のあはれを知るといふ也」と述べて、事象と自我との接触としての経験において事象の本質を認識したうえで成立する感動を、「物のあわれ」と規定した。 そして、これを知る人を「心ある人といひ知らぬを心なき人といふ也」(同上)として、すなわち「もののあわれ」を知ることが人間が人間たるゆえんであるとした。 しかるに、「なべて心に深く感ずる事は人にいひきかせてはやみがたき物」(同上)であるのだから、感動の表現は人間的な必然となる。 その表現手段の粋は、「鳥虫に至るまでも(中略)おのれおのれが歌謡をなすものを人間として一向詠む事あたはざるは恥ずべきことのはなはだしきにあらずや」(『あしわけおぶね』)というように、和歌である。 かくして本居宣長においては、感覚的経験、認識、感動、表現欲求、そして芸術制作という、創造をめぐる美的経験の構造分析が行なわれている。 本居宣長はまた、「歌の本体政治をたすくるためにもあらず身をおさむる為にもあらずただ心に思ふ事をいふより外なし」(同上)として、儒教の教えとは鋭く対立し、芸術の自律性の主張した点においても、近代精神を先取する側面があった。

このように美と芸術を重視する思想的伝統があるために、西洋美学の摂取も成功したのであり、西周、中江兆民、森鷗外、高山樗牛以後においては、東洋の伝統に立ち茶道における老荘の美学的世界観を主張した岡倉覚三の『茶の本』、および西洋美学の方法で歌論を研究してその側面から範疇論を補足した大西克礼の『幽玄とあはれ』は注目すべきである。

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美学

伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできた。科学的に言えば、感覚的かつ感情的価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断そのものを指すこともある。より広義には、この分野の研究者たちによって、美学は「芸術、文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられる。

美学が一つの学問として成立した歴史的背景には、18世紀に啓蒙主義の思想と自然科学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められたことと関係している。バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作った。後にカントは美学の研究について美的判断を行う能力としての趣味を検討し、趣味を支配する普遍的な原理は存在しないことから、美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。ここから美学はシラー、シェリング、ヘーゲルなどにより展開された美に対する哲学的批判へと焦点が移行するが、19世紀から20世紀にかけて美の概念そのものの探究から個別の美的経験や芸術領域、もしくは芸術と他の人間活動との関係にも考察が及んでいる。

なお、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて勝敗利害を超越した信念の持ち主を評するときに用いられることがある(「美学を感じさせる指し手」など)。たとえば囲碁棋士の大竹英雄の棋風は「大竹美学」と称されるが、別に大竹が哲学者を兼ねているわけではない。

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日本における美人統計

日本国内において、特に美人が多いのは日本海側であるとする主張がある。具体的には、秋田美人をはじめ、津軽美人、庄内美人、越後美人、加賀美人、越前美人、京美人、出雲美人、博多美人などである。

東京、大阪、横浜、名古屋、札幌、福岡、京都、神戸、仙台、広島、新潟の11大都市から一番美女が多いと思う都市をひとつ選ぶというアンケートを、全国20~60代の男女1,378名を対象に実施したところ、全国から美女が集まる東京(1位)に次ぎ、2位に福岡、3位に新潟、4位の京都と日本海沿いの都市がランクインした。

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日本における美人像

日本の平安時代には、肌理(きめ)の細かい色白の肌、ふっくらした頬、長くしなやかな黒髪が典型的な美人の条件として尊ばれた。ただし、一定以上の身分のある女性は近親者以外の男性に顔を見せないものとされたため、男性はめあての女性の寝所に忍んで行き、ほの暗い灯火の下で初めてその姿を見るということが普通であった。化粧は、顔に白粉を塗り、眉を除去して墨で描き(引眉)、歯を黒く染める(お歯黒)といったもので、健康美よりはむしろ妖艶さが強調された。当時の女性の成年年齢は初潮を迎える12~14歳であり、30代はすでに盛りを過ぎた年齢とみなされていた。ちなみに、しばしば言及される引目鉤鼻は源氏物語絵巻等の平安絵画において高貴な人物を描く際に用いられた表現技法の名称である。六歌仙の一人である女流歌人小野小町は、絶世の美女であったとされている。

戦国時代に日本に30年以上滞在した西洋人ルイス・フロイスは「ヨーロッパ人は大きな目を美しいとしている。日本人はそれを恐ろしいものと考え、涙の出る部分の閉じているのを美しいとしている。」と、当時の日本人が大きな目よりも絵巻物や美人画に描かれるような涼しい目を理想としていた様子を記している。

江戸時代以来、日本では色白できめ細かい肌、細面、小ぶりな口、富士額、涼しい目元、鼻筋が通り、豊かな黒髪が美人の典型とされた(浮世絵で見られる女性は、当時の理想的な美人を様式化した作品である。詳しくは美人画を参照)。当時最も売れた化粧指南書『都風俗化粧伝』において「目の大なるをほそく見する伝」という項が存在し、目に関しては現在とは異なる美意識だったことを表している。井原西鶴の『好色五人女』には、低い鼻を高くしてほしいと神社で無理な願いことをする、との記述があり、当時鼻の高さを好んだ傾向が伺える。こうした美意識は、明治時代から大正時代に至るまで美人像の基調となった。

明治時代に入ると欧化主義とそれに伴う洋装化の動きが起こり、大正時代の関東大震災後からパーマネントや断髪、口紅を唇全体に塗るなど、従来の美意識と相容れないような西洋式の美容が広まっ。また、戦後の日本では、欧米戦勝国の影響を強く受けて、白人に近い顔立ちが美人とされ、白人の特徴である金髪や碧眼(青い目)が憧れの対象となった。

今日では雑誌やマスメディアを通じて化粧品やメイクに関する情報が広く共有され、白い肌・小顔・大きな目・二重まぶた・細長くて高い鼻・細くて長い脚・長身・痩せ型など、ファッションモデル産業と密接に結びついた審美観が普及している。また、プリクラや加工アプリなどの画像加工による美の追求も盛んに行われている。その反面、容姿の美醜が従来以上に女性の幸福感を左右するようになり、こうした傾向は摂食障害や美容整形への過度の依存など、身体的・精神的健康をむしばむ新たな問題を生じている。

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Judith LangloisとLori Roggmanは、無作為に抽出した顔写真の合成写真を被験者に示した時に、その写真が魅力的であると判断されることが多いとする研究結果を発表した(Psychological Science 1990)。この事から、美人とはそのコミュニティにおいて最も平均的な容姿を持つものであるという仮説が提唱された。この説によると、美人像の変遷は、そのコミュニティの構成員の変化を背景としているものと考えられる(鼻が高い人が多くなれば、鼻が高いことが美人の要素となる)。このように平均的な女性が美しいと感じられる理由としては、平均的であるということが、当該コミュニティで失敗のない生殖を行う可能性が高いことを示している(繁殖実績が多い)と考えられるためと説明されている。

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美という言葉の多様性

哲学における「美」の概念と、それがいかなるものであるかの議論は、その前提として、本記事の冒頭で述べた通り、「美しい」とは何を意味しているのか、「美」という言葉が持つ「意味範囲」のある程度の明確な把握を前提とする。

例えば、古典ギリシア語における「美(kalon)」という言葉は、通常の国語としての日本語で使う「美」の意味とは異なる意味範囲を持っているのであり、同様に、ラテン語の「美・美しいこと(pulchrum)」もまた、古典ギリシア語の「カロン(美)」とは、また違う意味範囲を持っている。異なる言語のあいだで、まったく同じ意味内包を持つ言葉はそもそも存在しないのであり、たとえばプラトンが「美」について何かを論じている場合、それは古典ギリシア語の「カロン」について語っているのだという事実は重要である。

「美」に関連した概念として、「徳」という価値概念が、プラトンによって論じられているが、「徳」に当たる古代ギリシア語「アレテー」は、日本語の「徳」にはない特殊な意味があり、それは英語の virtue にもまたないものである。しかし、ラテン語virtus は、ギリシア語「アレテー」の含意とほぼ重なる意味範囲を備えている。

このように、言語において同じ意味内包の言葉はないのだという自覚なしに、異なる言語での「美」に相当する言葉について論じられた思索や議論に言及することは、そこに危うさが伴っている。

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